南禅寺の開山第一世大明国師無関普門禅師を奉祀する南禅寺の塔頭である。
暦応二年(1336年)虎関師練が南禅寺第十五世に出るや、同年朝廷に上奏して開山塔建立の勅許を請い、
同年九月十五日光厳上皇の勅許を得て、塔を霊光と名づけ菴を天授と名付けることの勅状を賜って建設に着手。
翌三年に初めて南禅寺に開山塔の建立を見るにいたった。これが天授庵の開創である。
しかし、文安四年四月二日(1447年)の南禅寺大火に類焼し、
また、その後の応仁の乱の兵火に見舞われ荒廃した。
慶長年間に至り世情の安定と共に伽藍の復興が進み、一山の僧達は協議の結果、開山塔天授庵の復興を決定し、
当時五山の間に屈指の名僧と言われた当時の南禅寺住持たる玄圃霊三和尚に一任するにいたった。
霊三はその弟子の雲岳霊圭をして天授庵主とし、知友であった細川幽斎に天授庵の復興を懇情した。
その結果、幽斎の寄進によって慶長七年八月(1602年)、現在の本堂、正門、旧書院を始め諸堂を復興した。
本堂は、幽斎の重建する処であり、優雅な柿皮葺屋根を持つ建築であり、
光厳帝御銘の霊光塔を復興したものである。
中央に開山大明国師等身大の木像を安置し、一隅に幽斎夫妻をはじめ細川家歴代の位牌所がある。
庭園は、本堂前庭(東庭)と書院南庭に分かれる。
東庭は枯山水で正門より本堂に至る幾何学的な石畳を軸として配する。
数個の石と白沙に緑苔を添えたものである。
書院南庭は庭園の根本的構想、あるいは設計とも言うべきであり、
地割の上から見ると明らかに鎌倉末期から南北朝時代の特色を備えている。
特に中央の出島にそれが顕著である。
すなわち、書院側より長大な出島を作り、向かい側からやや小さい出島を配し、
これらをさながら巴形に組み合わせることにより、東西大小の二池を区切っている。
また、東池を西池より小さくし、なだらかな斜面を堤を設けている。
これらは暦応四年の本庵創建当時に作成されたものであることを物語っている。
(「天授庵参拝の栞」より参照)
天授庵はまずは美しい庭園が見所です。
天授庵の庭園には、本堂前庭(本堂東庭)と書院南庭があります。
本堂前庭(本堂東庭)は枯山水庭園であり、不思議な苔と石畳の参道があります。
門から石庭に続き、途中で垂直に曲がっており、何とも独特の参道となっています。
全体的には白砂が敷かれ、中央には苔や松が配されています。
上品で美しい庭園と言えると思います。
庭園の向かいにはたくさんのもみじがあり、紅葉の名所となっています。
また、本堂前庭(本堂東庭)からは大きな三門を横から見上げることができます。
書院南庭は池泉回遊式庭園です。
鯉が優雅に泳ぐ池の周りには見事な苔や岩があります。
もみじに囲まれており、こちらも紅葉の名所です。
また竹林もあり、竹林と紅葉のコラボも楽しめます。
天授庵は南禅寺の中でも人気の塔頭寺院であり、人が多めです。
特に秋の紅葉シーズンにはたくさんの観光客がいます。
天授庵は京都の紅葉の名所です。
南禅寺の中でも人気の紅葉名所であり、秋にはたくさんの観光客が訪れます。
本堂前庭(本堂東庭)の枯山水庭園の紅葉と、書院南庭の池泉式庭園の紅葉が楽しめます。
本堂前庭(本堂東庭)は京都の中でも比較的早くに色づく名所であり、
向かって左が赤いもみじ、右が黄色いもみじの見事な紅葉です。
例年、他の名所が見ごろ前であっても真っ赤な紅葉を見ることができます。
逆に書院南庭は他の名所と同じか少し遅いくらいに色づきます。
どちらの庭園も人は多目ですが、素晴らしい紅葉が楽しめます。
なお、例年秋の紅葉シーズンにはライトアップが行われます。
天授庵は南禅寺の塔頭寺院です。
⇒南禅寺の説明
【他の代表的な塔頭寺院・庭園】
住所:606-8435 京都府京都市左京区南禅寺福地町
※地下鉄「蹴上」駅から行く場合は、「ねじりまんぽ」と呼ばれる隧道を抜けると近道です。
※その他のアクセス方法もあります。上記は一般的なアクセス方法です。
時間はおおよその目安です。
拝観時間 ⇒ 9:00~17:00(※秋期などライトアップ有り)
拝観料 ⇒ 400円(一般)(※ライトアップ時 ⇒ 500円)
※距離、時間はおおよその目安です。「約~」などは見にくくなる為省いています。
(※まだまだ作成、編集中です。)