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大徳寺の塔頭寺院。
細川三斎(細川忠興)が父の幽斎の菩提所として慶長六年(1601年)に創建。
開祖は幽斎の弟の玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)。
細川三斎公は正保二年十二月二日、八十三歳の高齢で卒去。遺言によって遺骨は高桐院に埋葬された。
法名の松向寺殿三斎宗立は茶席松向軒の名として残されている。
正室細川ガラシャ夫人が織田の反逆者明智光秀の息女という不利の時代も、光秀にくみしなかったのは、
三斎公が武人として時代を超えた明晰な洞察をもっていたゆえんである。
茶室の松向軒(しょうこうけん)は三斎好みと伝えられる。
また、書院の意北軒(いほくけん)は千利休邸からの移築とされている。
参道は表門から鍵の手に唐門を望む自然石の敷石道である。
春夏の青葉・秋の紅葉を天蓋に頂く一直線の参道は幽玄の気に満ちている。
庭園は、カエデ一色で自然のままの林となる本堂南庭と、飛石本位で深山幽谷の趣をもつ西庭とからなり、
西庭には「袈裟型(けさがた)の手水鉢」が据えられている。
客殿南庭は江戸時代初期の造園。楓樹を主とした野趣に富む庭であるが、
青葉の清冽・紅葉の華麗・冬の静寂と四季折々、自然の風雅をたくまずに含んでいる。
三斎公及びガラシャ夫人の墓石は、生前愛好した石灯篭をもってそれに当てた。
細川家の墓所の中にこの鎌倉時代の美しい灯篭墓石は、苔を褥に静かに据わっている。
墓地には三斎(細川忠興)とガラシャ夫人の他、
興津弥五右衛門や歌舞伎の創始者とされる出雲の阿国(いずものおくに)らの墓がある。
三斎の墓塔は、もとは利休の燈籠であったが、豊臣秀吉に望まれたために、
利休はわざと笠の一部を削って断り、三斎に贈ったものという。
(「京都 紫野 髙桐院しおり」および「増補版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック」より参照)
高桐院は風情、情緒や侘び寂びといった言葉がぴったりの場所です。
門をくぐれば竹の手摺がある両脇が綺麗な苔で覆われた長い参道があります。
美しすぎる落ち着いた風情ある参道です。
ここだけでも十分満足できるお寺です。
書院や客殿も落ち着いた心休まる場所、造りになっています。
複数の庭園がありそれぞれ趣が異なります。
書院前の庭園には飛び石が配され、ツツジなども植えられています。
客殿前の庭園は苔で覆われており、もみじやカエデがたくさんあります。
春から夏にかけては緑の空間を、秋は紅葉と圧巻の散りもみじを楽しめます。
冬に雪が積もれば厳かな雰囲気を感じられます。
是非ともお勧めの京都の名所です。
秋の紅葉シーズンは結構混みます。
その他の時期は空いています。
高桐院はまずは参道の苔が素晴らしいです。
石の道の両脇が鮮やかな緑の苔につつまれています。
庭園も苔や青もみじなどしっとりした深い緑が楽します。
高桐院は京都の紅葉の名所です。
参道、庭園ともに風情ある紅葉が楽しめます。
真っ赤な紅葉から黄色、オレンジの紅葉まで多彩です。
そして凄いのが散りもみじです。
晩秋には客殿前の庭園では圧巻の真っ赤な紅葉の絨毯が見られます。
高桐院は京都で雪が積もった時にお勧めの場所です。
京都市街ではなかなか雪が積もりません。
積もってからどこに行くかを決めるのではなく、
次に雪が積もればどこへ行くかを決めておくのが良いでしょう。
風情、侘び寂び、情緒、厳か、静寂…様々な雪景色を楽しめます。
高桐院は大徳寺の塔頭寺院です。
⇒大徳寺の説明
【他の代表的な塔頭寺院】
住所:〒603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺町73
※高桐院のみ目的なら「大徳寺前」よりも「建勲神社前」の方が近いです。
(「大徳寺前」で降りても問題ありません。)
※その他のアクセス方法もあります。上記は一般的なアクセス方法です。
時間はおおよその目安です。
拝観時間 ⇒ 9:00~16:30
拝観料 ⇒ 400円(大人一般)
※距離、時間はおおよその目安です。「約~」などは見にくくなる為省いています。
(※まだまだ作成、編集中です。)