皇室関連施設であり、十四世紀以来1869年までの間、
内裏、すなわち歴代天皇が居住し儀式や公務を執り行う場所であった。
現在は宮内庁京都事務所が管理している。
平安京が営まれた当初の内裏は、現在の千本丸太町付近に位置しており、
内野自動公園内に大極殿跡を示す碑が建っている。
しかし、天徳四年(960年)の炎上以来、内裏は度重なる類焼のため、
天皇は公家の邸宅を借りるという現状であった。
そして鎌倉初期の安貞元年(1227年)四月に類焼して以降、再建されることはなかった。
天皇が公家の邸宅を借りることを里内裏(さとだいり)と言うが、元弘元年(元徳三年、1331年)九月、
持明院統(じみょういんとう)(のちの北朝)の光厳天皇が里内裏である土御門東洞院で即位した。
さらに明徳三年(1392年)後亀山天皇が三種の神器を後小松天皇に渡して以降、
南北朝が統一されることになり、ここに土御門東洞院内裏が長く皇居として定着することになった。
これが現在の京都御所の前身となる。
当初の御所の規模は現在より遥かに小規模で、方一町の敷地の一部に紫宸殿・清涼殿兼用の建物があったとされる。
その後応仁の乱などで荒廃するも、戦国時代に入ってから内裏は再び復興に向かう。
その先駆けとなったのは織田家であり、天文十二年(1543年)、織田信長の父信秀が
後奈良天皇の要請に応じて内裏修理料四千貫を献上したことに始まり、
以後、織田信長、豊臣秀吉の時代に各々改築が行われた。
その動きは徳川幕府にも引き継がれ、元和六年(1620年)の徳川和子(東福門院)の後水尾天皇への
入内(じゅだい)の前年にも大規模な拡張工事が実施されている。
その後、火災炎上と再建を繰り返したが、天明八年(1788年)の京都大火後、
いちはやく幕府は老中松平定信に内裏造営を命じた。
この時の工事は寛政元年(1789年)から翌二年にかけて行われたが、定信は、当時の著名な
有識故実家裏松固禅(光世)が作成した「大内裏図考証」に基づき、古制にならって復元した。
この時の殿舎は安政元年(1854年)に焼けるが、翌二年、幕府は先の寛政度にならって再興した。
現在の御所はこの時にほぼ整っている。
その境域は東西約二百五十メートル、南北約四百五十メートルである。
(「増補版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック」より参照)
京都御所の見所は、まずは数々の雄大な建造物、格式ある建造物、寝殿造りの建造物などです。
「紫宸殿」「承明門」「御車寄」「新御車寄」「清涼殿」「御常御殿」など見ごたえ十分、見所も満載です。
また、庭園も美しく、水と緑の綺麗な「御池庭」「御内庭」や、砂庭の「蹴鞠の庭」などもあります。
広い敷地内に庭園や建造物が溢れており、文化財なども目にすることができます。
以前は参観するには事前予約をするか、春や秋の特別公開に参観する必要がありました。
ただし、春や秋の特別公開は人が物凄く多く、大変混雑していました。
しかし、2016年7月26日からは事前予約をしなくても当日参観が可能となりました。
これにより敷居が低くなり参観しやすくなりました。
非常に便利になりましたし、ありがたいです。
住所:〒602-0881 京都府京都市上京区京都御苑3
※その他のアクセス方法は多数あります。上記は一般的なアクセス方法です。
時間はおおよその目安です。
参観時間 ⇒ 9:00~17:00(月により~16:00・~16:30)
※月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月28日~1月4日)、
行事等の実施のため支障のある日は参観不可。
参観料 ⇒ 無料
平成28年7月26日(火)より通年公開が開始されています。
以前は、事前予約をするか、春や秋の特別公開のみでしたが、現在は当日参観が可能です。
※距離、時間はおおよその目安です。「約~」などは見にくくなる為省いています。
(※まだまだ作成、編集中です。)