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祭神は建御賀豆知命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)、
天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)。
貞観元年(859年)に藤原山陰が奈良の春日神を吉田山西麓に勧請し、氏神として祀ったことに由来する。
以来、藤原氏の京都での氏神とされ、朝廷の崇敬も受けた。
応仁・文明の乱によって荒廃したが、神官の吉田兼倶(よしだかねとも)が唯一神道(ゆいいつしんとう)を唱え、
天神地祇八百萬神(てんじんちやおよろずのかみ)を奉斎(ほうさい)する大元宮を創設し、
当社並びに神社界の復興に貢献した。
節分祭(二月二日~四日)には、疫神祭(えきじんさい)・追儺式(ついなしき)・
火炉際(かろさい)がとり行われ、追儺式は「鬼やらい」として有名である。
現在の大元宮は慶長六年(1601年)の修復で、
母屋の平面が八角形という珍しい形を持ち、重要文化財に指定されている。
(「増補版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック」より参照)
吉田神社は神々が集う神社として有名です。
広い境内にはたくさんの社殿があり、いろいろな神様がいます。
厄除けや開運、縁結びのご利益は当然、お菓子の神様や料理の神様などユニークは神様もいます。
一度にたくさんの神様にお祈りすることができます。
また、末社の斎場所大元宮は全国の神様が集うとされ、京都にいながら全国の神様にお祈りができます。
さらに斎場所大元宮はその形が特徴的で八角形をしています。
独特の雰囲気を放つ建造物であり、見ごたえも十分です。
末社の竹中稲荷神社は長い参道に鳥居が並んでいます。
言わば伏見稲荷大社の小さい版みたいな感じですが、春は桜、秋には紅葉の隠れた名所です。
吉田神社は季節を問わず楽しく参拝できる神社です。
斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)は吉田神社の末社です。
斎場所大元宮の祭神は、天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやおよろづのかみ)。
天神地祇八百万神を祀る大元宮を中心とし、周囲に伊勢二宮をはじめ、
全国の延喜式内社三千百三十二座を奉祀する。
もとは、神職の卜部(うらべ)(吉田)家邸内にあったものを
文明十六年(1484年)に、吉田神道の根本殿堂とした。
天正十八年(1590年)には天皇守護のため宮中の神祇官に祭られていた八神殿が社内後方に遷され、
慶長十四年(1609年)から明治四年(1871年)まで、神祇官代としてその儀式を執行した。
本殿(重要文化財)は慶長六年(1601年)の建築であり、
平面上八角形に、六角形の後房(こうぼう)を付した珍しい形をしている。
屋根は入母屋造(いりもやづくり)で茅葺(かやぶき)、棟には千木(ちぎ)をあげ、
中央には露盤宝珠、前後には勝男木を置く特殊な構造である。
この形式は密教・儒教・陰陽道・道教などの諸宗教、諸思想を統合しようとした「吉田神道」の理想を
形に表したものといわれる。
全国のあらゆる神々を祀るため、当社に参詣すると、全国の神社に詣でることと同じ効験があるとされ、
毎年節分の日を中心に前後三日間行われる
「節分祭」には多数の参詣客で賑わう。
(「京都市立て札(駒札)」より参照)
普段は中門までの公開ですが、1月1日~3日と毎月1日は本殿も公開されます。
竹中稲荷神社(たけなかいなりじんじゃ)は吉田神社の末社です。
竹中稲荷神社の祭神は、宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)、
猿田彦神(さるたひこのかみ)、天鈿女神(あめのうずめのかみ)。
「在原業平の居を神楽岡稲荷神社の傍に下す」と記載された古記があり、
天長年間(824~834年)には既に社殿があり、吉田神社よりも古くから祀られていたとされる。
江戸時代末期には多くの参詣者で賑わったと伝えられる。
竹中稲荷神社は、鳥居が並ぶ長い参道でも知られている。
また、商売繁盛のご利益があるとされています。
住所:〒606-8311 京都府京都市左京区吉田神楽岡町30
※真如堂や金戒光明寺の方面から行くこともできます。
※その他のアクセス方法もあります。上記は一般的なアクセス方法です。
時間はおおよその目安です。
拝観時間 ⇒ 境内自由
拝観料 ⇒ 境内自由
※距離、時間はおおよその目安です。「約~」などは見にくくなる為省いています。
(※まだまだ作成、編集中です。)