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山号は小倉山。
本尊は十界大曼荼羅。
開山は究竟院日禛日禛(くきょういんにっしん)上人。
十六世紀末に本圀寺(ほんこくじ)十六世の日禛がこの地に隠棲したことが起こり。
元和年間(1615~24年)に同舎を建立。
日禛上人は宗学と歌道への造詣が深く、三好吉房(秀吉の姉婿)、瑞竜院日秀(秀吉の実姉)、
小早川秀秋(木下長嘯子(ちょうしょうし)の実弟)、加藤清正、小出秀政、
その他京都町衆の帰依が多かったと伝えられる。
当時歌人としても著名な日禛上人に、歌枕の名勝小倉山を隠棲処として提供したのは、
角倉栄可と了以であったといわれる。
その後の慶長十一年(1606年)、了以の大堰川浚鑿(おおいがわしゅんさく)工事が行われると、
日禛上人は備前伊部(いんべ)の妙圀寺末檀家である瀬戸内水軍の旗頭、来住(きす)一族に書状を送り、
熟達した舟夫の一団を招いて了以の事業を支援したとされる。
これが保津川下りの濫觴(らんしょう)、始まりとされている。
寺名は閑静な小倉山の地に常寂光土の趣きをもつことに由来する。
また、藤原定家の歌「忍ばれむ 物ともなしに 小倉山 軒端(のきば)の松ぞ なれてひさしき」
にちなんで軒端寺とも呼ばれる。
仁王門は、もともと本圀寺客殿の南門であり、貞和年間(南北朝時代)の建立である。
元和二年に当山へ移築され、文政八年と昭和五十一年に解体修理を施し、今日に至っている。
仁王像は丈七尺、若狭小浜の長源寺より移築されたものであり、運慶の作と伝えられる。
本堂は、二世通明院日韶(にっしょう)上人が、
慶長年間に小早川秀秋の助力を得て桃山城客殿を移築し造営したとされる。
多宝塔は、二世日韶上人代の元和六年(1620年)の建立で重要文化財。
辻藤兵衛尉直信という京都町衆が大檀那(おおだんな)として献じたものである。
(「常寂光寺しおり」および「増補版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック」より参照)
常寂光寺は山の麓から山の中腹にかけて境内があり、自然につつまれています。
苔や緑が美しい寺院、庭園です。
秋は紅葉の名所であり、秋の紅葉シーズンは人が増えますが、それ以外の時期は人はまばらです。
ゆっくり境内を拝観・散策でき、都会の喧騒から離れた落ち着ける場所です。
境内の一部(嵯峨野展望や宝塔の上付近)からは京都市内も見渡せ、清々しい場所でもあります。
時期を問わず、京都嵯峨のお勧めの寺院、庭園です。
常寂光寺には仁王門付近に「彼岸しだれ桜」と呼ばれる大きなしだれ桜があります。
立派で美しい一本桜です。
ただ、あまり知名度は高くないようで桜シーズンでも人はあまりいません。
京都嵯峨の桜の穴場です。
常寂光寺は京都の苔の名所です。
仁王門から本堂に至る石段付近や末吉坂付近が見事な苔で覆われています。
山門から仁王門の間の参道の両脇の苔も綺麗です。
岩や木の根が苔に覆われており風情もあります。
雨の日などは特に綺麗で美しさを増します。
苔が雨で潤いしっとりとしたり、輝きを持ったりします。
苔を楽しむためには雨の日の方がお勧めです。
常寂光寺にはもみじ、カエデも多く、春から夏にかけては新緑や青もみじが綺麗です。
苔とあいまって緑の世界、緑の空間を楽しめます。
春から夏の時期には混むこともなく、ゆっくり拝観できます。
常寂光寺は京都嵯峨の紅葉の名所です。
仁王門付近や末吉坂付近では色とりどりの鮮やかな紅葉が楽しめます。
また、宝塔や鐘楼付近の紅葉も美しく、絵になる秋の風景が見られます。
境内全体にもみじ・カエデが多く、京都の紅葉を満喫できる場所です。
ただし、秋の紅葉シーズンはさすがに混みます。
常寂光寺は雪が降った際にお勧めの京都奥嵯峨の名所です。
見所が非常に多く、華やかな雪景色、趣きある雪景色、絵になる雪景色などいろいろ楽しめます。
住所:616-8397 京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3
※その他のアクセス方法もあります。上記は一般的なアクセス方法です。
時間はおおよその目安です。
拝観時間 ⇒ 9:00~17:00(受付終了16:30)
拝観料 ⇒ 400円(大人一般)
※距離、時間はおおよその目安です。「約~」などは見にくくなる為省いています。
(※まだまだ作成、編集中です。)