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臨済宗。
山号は善入山。
平安時代に白河天皇により創建。善入寺と名付けられる。
南北朝時代になり夢窓国師の高弟の黙庵周輸禅師が入寺し、衰退していた寺を復興して中興開山となった。
室町幕府の大将軍足利義詮(よしあきら)は、黙庵に帰依し、師のために善入寺の伽藍整備に力を入れた。
寺の位置は『応永均命図』(室町時代前期の嵯峨地域寺院配置図)によると現在地と変わらない。
貞治六年(1367年)、義詮が没すると、善入寺はその菩提寺となり、
八大将軍義政の代になって義詮の院号の宝筐院に因み、寺名も宝筐院と改められた。
正平三年・貞和四年(1348年)正月、
河内の国の南朝の武将である楠木正行(まさつら)は四条畷の合戦で高師直の率いる
北朝の大軍と戦い討ち死にし、黙庵はその首級を生前の交誼により善入寺に葬った。
後にこの話を黙庵から聞いた義詮は、正行の人柄を褒めたたえ、自らもその傍らに葬るように頼んだという。
明治二十四年(1891年)、京都府知事北垣国道は小楠公(楠木正行)遺跡が
人知れず埋もれているのを惜しみ、これを世に知らせるため、首塚の由来を記した石碑「欽忠碑」を建てた。
書院から本堂の周辺は白砂・青苔と多くの楓や四季折々の花木からなる
回遊式庭園が広がり、晩秋初冬にはみごとな紅葉をみせる。
(「宝筐院 白河天皇開創 楠木正行・足利義詮両菩提所 しおり」より参照)
宝筐院の見所は緑や自然の豊かな境内です。
庭園の真ん中には飛び石の参道が長く続いており、その両脇は緑や木々でつつまれています。
場所によっては白砂や岩、灯籠なども配され、また鮮やかな苔で覆われてもいます。
春から夏にかけては新緑や青もみじが、秋には紅葉が楽しめます。
また多種多様な花々も多く、季節に応じて華やかな空間や彩りの空間を楽しめます。
庭園は奥行きもあり、場所によって様々な情景を見られます。
本堂などの建造物も自然につつまれており、自然と人工の融合した素晴らしい境内、庭園です。
また、本堂から眺める境内や庭園も違った趣きが感じられます。
宝筐院にはもみじやカエデが多く、春から夏にかけては鮮やかな新緑や深い青もみじが見られます。
また、苔も多く、素晴らしい緑の空間を楽しむこともできます。
宝筐院は紅葉の名所です。
境内全体が鮮やかな真っ赤な紅葉や色とりどりの紅葉につつまれ、秋の素晴らしい情景を楽しめます。
緑の苔も美しく、さらに散りもみじ、紅葉の絨毯などの見られます。
秋の紅葉のシーズンは少し混みますが、嵐山・嵯峨の少し離れたところにある為、
他の名所よりは比較的空いている場合もあります。
住所:〒616-8424 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9
※その他のアクセス方法もあります。上記は一般的なアクセス方法です。
時間はおおよその目安です。
拝観時間 ⇒ 9:00~16:00(※11月のみ ⇒ 9:00~16:30)
拝観料 ⇒ 500円(大人一般)
※距離、時間はおおよその目安です。「約~」などは見にくくなる為省いています。
(※まだまだ作成、編集中です。)