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妙心寺の塔頭寺院。
文明十一年(1479年)足利幕府の管領・細川政元が景堂和尚に帰依して上京区大心院町に建立。
天正年中に細川幽斎(藤孝)の熱意と尽力により妙心寺に移転、中興された。
この中興により大心院の妙心寺塔頭としての発展の基盤が確立した。
続いて子の細川三斎(忠興)も当院の外護に努めた。
現在の本堂(方丈)は蒲生氏郷の孫である忠知が大心院第七世嶺南崇六(東京、東禅寺開山)に
帰依して建立されたものである。
大心院はその後、時代を経るに従い衰退した。
大心院の所蔵するものには、李龍眠の羅漢図(鎌倉期、重要文化財)一幅、友清の白衣観音一幅、
小栗宗丹の中国故事人物三幅(旧国宝)などがある。
庭園には阿吽庭(あうんてい)があるが、阿吽庭というのは通称であり、
正しくは方丈東庭といい、石で仏、菩薩を象徴した第二の本堂である。
本堂の東、書院(旦過寮・宿坊)の南にあり、東西に長く、南北にやや狭く、
長方形の地割りで作られている。
東南隅に築山を設け苔地とし、三尊手法による石組を中心として左右に数個の石を配し、
築山の下部には州浜型の曲線によって白砂面に変化をもたせている。
築山部には多数の樹木を用い、伝統的な作風の風韻温雅な点が見所である。
苔と白砂との陰陽、五色、十七個の岩との調和も鮮やかな、第二の本堂として拝する庭である。
大心院の建物として、寛永年間に建てられた本堂と玄関の他、
龍泉菴から移されたと伝えられる同時期の表門や、
変化に富んだ外観をみせる明和五年(1768年)建立の書院等が並び建っている。
寛永六年(1666年)建立の祖堂は、その後に本山妙心寺に売却し数奇な運命を経て、
平成十五年(2003年)再び大心院に返却され、境内の景観を濃密にしている。
微笑塔、玉鳳院という妙心寺発祥地の山内でも特別な所にあって、
近世紀の建築群がまとまって境内を構成している。
(「妙心寺 大心院 しおり」(拝観のしおり)より参照)
大心院の見所は緑や自然の豊かな、あるいは緑と融合した枯山水庭園です。
庭園は複数有り「切石の庭(きりいしのにわ)」、「阿吽庭(あうんてい)」などがあります。
本堂南庭の「切石の庭(きりいしのにわ)」は、砂と石畳、そして苔の綺麗な庭園です。
砂と苔の庭園は良くありますが、中央に石畳の敷かれた珍しい庭園です。
緑の鮮やかな苔もあり、独特の雰囲気の楽しめる庭園です。
本堂東庭の「阿吽庭(あうんてい)」は、波模様の美しい白砂と苔、植物の見事な庭園です。
苔は緩やかな円形に作られており、自然と心が落ち着きます。
多種多様な緑や植物が植えられ、砂と緑の融合した風情ある庭園です。
さらに、本堂北側の中庭は苔で覆われており、所々見える木の根がアクセントになっています。
春には鮮やかなツツジも楽しめます。
そして、キリシマツツジの中庭もあり、春には圧巻の真っ赤なキリシマツツジが見られます。
また、大心院は宿坊として知られており泊まることもできます。
大心院は春のキリシマツツジで有名です。
回廊に囲まれた小さな中庭に圧巻のキリシマツツジが2本あります。
樹齢は360年~400年とも言われており、凄い存在感を放っています。
どこから見るかで趣きもことなり、ガラスに反射する美しい姿を楽しむこともできます。
またこの時期は苔をはじめとする庭園の緑も非常に綺麗です。
⇒妙心寺の説明・見所・アクセスなど
大心院は妙心寺の塔頭寺院です。
他の代表的な妙心寺の塔頭寺院です。
住所:〒616-8035 京都府京都市右京区花園妙心寺町57
※その他のアクセス方法もあります。上記は一般的なアクセス方法です。
時間はおおよその目安です。
拝観時間 ⇒ 9:00~17:00
拝観料 ⇒ 300円(一般)
※距離、時間はおおよその目安です。「約~」などは見にくくなる為省いています。
(※まだまだ作成、編集中です。)