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山号は紫雲山(しうんざん)。
本尊は阿弥陀如来。
浄土宗京都四ヵ本山の一つ。
通称「黒谷(くろだに)さん」として親しまれている。
比叡山を出た法然上人が承安五年(1175年)に師の叡空(えいくう)から、
この地にあった比叡山の白河禅房を譲られ、念仏道場としたのに由来するとされる。
法然上人の没後、紫雲山光明寺となった。
さらに後光厳天皇から「金戒(こんかい)」の文字を賜り、現称となった。
伽藍は応仁の乱以後、再々焼失したが、その都度復興された。
三重塔は、徳川秀忠の菩提を弔うために寛永十年(1633年)に建てられたものであり、
重要文化財に指定されている。
現在京都市内にある重要文化財の三重塔は、清水寺の三重塔、子安塔と併せて三塔のみ。
当時は松平容保(かたもり)率いる会津藩の幕末維新における本陣であり、
山上墓地北東には会津藩殉難者墓地がある。
重要文化財の「山越阿弥陀図」「地獄極楽図」、同じく木造千手観音立像を所蔵する。
山門は楼上正面に後小松上皇宸筆の「浄土真宗最初門」の勅願が掲げられ、
法然上人の開かれた浄土教の教えがここから始まったことが示されている。
御影堂(大殿)は、昭和十九年に再建されたもので、
内陣正面には宗祖法然上人の七十五歳の御影(坐像)を奉安している。
紫雲の庭は、法然上人の生涯と浄土宗の広がりを枯山水で表現したもので、
白川砂と杉苔を敷き詰めた中に、法然上人や上人をとりまく人々を大小の石で表し、
法然上人の「幼少時代 美作国」「修業時代 比叡山延暦寺」「浄土宗開宗 金戒光明寺の興隆」の
三つの部分に分けて構成されている。
(「くろ谷 金戒光明寺 しおり」および「増補版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック」より参照)
金戒光明寺の見所は様々な建造物や複数の庭園、四季に応じた木々、花々などの自然です。
巨大な山門、雄大な御影堂、荘厳な三重塔などの伽藍が見ごたえ十分です。
御影堂前の石段は時代劇風の石段であり、絵になる光景です。
また、それぞれの建造物が桜や紅葉などの自然と組み合わせて楽しめます。
方丈には唐門前の緑と砂の美しい枯山水の方丈庭園、岩や苔、松などの木々が植えられた紫雲の庭、
自然豊かな池泉回遊式の方丈北庭などがあります。
特に方丈北庭にはもみじが多く、秋には水辺の美しい紅葉が見られます。
金戒光明寺は春は桜の名所であり、秋は紅葉の名所でもあります。
山門付近や御影堂前石段などで華やかで豪快な桜が見られます。
同じく山門付近や東坂、三重塔、方丈北庭などでは見事な紅葉が見られます。
金戒光明寺は春は桜の名所です。
山門付近、御影堂前石段などでソメイヨシノが咲き誇ります。
華やかで豪快な桜、非常に絵になる桜が楽しめます。
見事な桜が見られますが、意外と人は少ないです。
穴場ではないとは思いますが、混雑することはあまりありません。
金戒光明寺は秋は紅葉の名所です。
山門付近、東坂、三重塔、極楽橋、方丈北庭など多くの場所で鮮やかな紅葉が見られます。
山門と紅葉、東坂と紅葉、三重塔と紅葉など絵になる秋に風景が楽しめます。
また、方丈北庭では水辺の紅葉や美しい紅葉の水鏡なども見られます。
例年ライトアップも行われ、幻想的な紅葉を楽しめます。
金戒光明寺には源頼朝に仕えた熊谷直実(くまがいなおざね)が鎧を掛けたと伝えられる「鎧掛けの松」があります。
元の松を引き継いだ二代目の松は、平成十五年(2003年)に京都市指定保存樹に指定されました。
しかし、残念ながら平成二十五年(2013年)10月に枯れてしまい伐採されました。
その後、平成二十六年(2014年)には三代目の松が植樹されました。
熊谷直実は、寿永三年(1184年)の一ノ谷の合戦で、敵将の平敦盛を討ち取りました。
しかし、我が子ほどの年齢の若武者の命を奪ったことに罪悪感を感じ、
のちに法然に弟子入りして出家したとされます。その場所が金戒光明寺であったとされます。
熊谷直実は御影堂横の松に着ていた鎧を掛けたと伝えられています。
住所:〒606-8331 京都府京都市左京区黒谷町121
※真如堂や吉田神社の方から歩いても行けます。
※その他のアクセス方法もあります。上記は一般的なアクセス方法です。
時間はおおよその目安です。
拝観時間 ⇒ 境内自由(※本堂 ⇒ 9:00~16:00)
拝観料 ⇒ 境内自由
(※時期によって特別公開有。事前確認要。御影堂・大方丈・庭園 ⇒ 600円/山門 ⇒ 800円など。)
※距離、時間はおおよその目安です。「約~」などは見にくくなる為省いています。
(※まだまだ作成、編集中です。)