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真言宗泉涌寺派の総本山。
山号は東山(とうせん)。
本尊は釈迦・阿弥・弥勒の三世仏(さんぜぶつ)。
皇室との関わりが深く、「御寺(みてら)」とも呼ばれる。
斉衡三年(856年)に藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)が帰依した神修(じんしゅう)上人が、
法輪寺(のちに仙遊寺と改称)として創建したのに由来する。
健保六年(1218年)には当時の開山である俊芿(しゅんじょう)律師に仙遊寺が寄進され、
この時に境内に新しい泉が湧き出たことにちなみ、泉涌寺と改めたとされる。
元仁元年(1224年)に御願寺となり、律を本宗真言・天台・禅・浄土の五宗兼学道場とされた。
仁治三年(1242年)に四条天皇が没し、寺内に御陵が造られて以来、
後水尾天皇・後光明天皇など二十五方の御陵(月輪陵・後月輪陵)が営まれ、
皇室の香華院(こうげいん)(菩提所)となる。
現在の伽藍は寛文年間(1661~73年)の復興による。
仏殿(重要文化財)は、寛文八年(1668年)に徳川家綱により再建されたものであり、
一重もこし付入母屋造り本瓦葺、唐様建築の代表作である。
天井には狩野探幽筆の蟠龍図が描かれ、三世仏の後壁にも探幽筆の白衣観音像がある。
舎利殿は御所にあった御殿を寛永年間に改装再建したもので内陣の宝塔内には
安貞二年(1228年)請来の仏牙舎利を安置する。
謡曲「舎利」の舞台としても有名。
天井の狩野山雪筆の蟠龍図はひろく「鳴龍」として知られている。
楊貴妃観音像(重要文化財)は、寛喜二年(1230年)に湛海律師によって請来された。
楊貴妃は唐の玄宗皇帝の妃として、また絶世の美女として知られる。
寺伝では玄宗は亡き楊貴妃を偲んで等身坐像にかたどった聖観音菩薩像を彫らせたとの伝承がある。
御座所は霊明殿再建時に明治天皇により御所内にあった
文化十五年(1818年)に上棟された御里御殿が移築されたものである。
御殿西の御所車に続く一棟は六室に分かれ南東に玉座があり、
東北の御室はかつて皇后の御産の間であった。
玉座の間は一段と高くなっており、特徴ある違い棚が見られる。
御室の中央には光格天皇御遺品の桑製の御机が置かれている。
国宝の「泉涌寺勧縁疏(かんえんそ)」は俊芿律師が十万檀越の喜捨をあおぐために書き、
後鳥羽上皇が上覧したもの。
山内の塔頭に七福神が祀られており、毎年成人の日に行われる泉山七福神めぐりは有名である。
(「総本山 御寺 泉涌寺 SENNYU-JI TEMPLEしおり」および
「増補版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック」より参照)
泉涌寺の見所は荘厳な雰囲気の境内に建つ建造物や自然、彩り豊かな庭園などです。
建造物としては雄大な造りの仏殿、白塗りの壁が美しい舎利殿、楊貴妃観音堂などがあります。
また、天皇陵(天皇のお墓)である月輪陵(つきのわみさぎ)も厳粛な雰囲気を感じられます。
境内には自然や緑がおおく、春から夏にかけては新緑や青もみじ、秋には紅葉が楽しめます。
中でも御座所庭園では秋には素晴らしい紅葉が見られます。
泉涌寺は京都の他のお寺とは何か違う独特な雰囲気の感じられるお寺です。
何が違うかと言われると難しいですが、荘厳・厳粛な雰囲気が漂っています。
泉涌寺、特に御座所庭園は紅葉の名所です。
赤や黄色など鮮やかで色とりどりの紅葉が楽しめます。
以前は京都の紅葉の穴場でしたが、近年は人気があがり人もだいぶ増えました。
それでもまだまだ混雑することは少なく、ゆっくり座って見事なお庭を眺めることが出来ます。
泉涌寺の別院として雲龍院があります。
⇒雲龍院(うんりゅういん)の説明・見所・アクセスなど
泉涌寺の代表的な塔頭寺院として今熊野観音寺があります。
⇒今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)の説明・見所・アクセスなど
住所:〒605-0977 京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
※その他のアクセス方法もあります。上記は一般的なアクセス方法です。
時間はおおよその目安です。
拝観時間 ⇒ 9:00~16:30(※12月1日~2月末日まで ⇒ 9:00~16:00)
拝観料 ⇒ 伽藍:500円/特別拝観(御座所など):300円
※東福寺、智積院、三十三間堂以外は距離がある為、バスや電車、タクシーなどの移動が良いと思います。
※距離、時間はおおよその目安です。「約~」などは見にくくなる為省いています。
(※まだまだ作成、編集中です。)