臨済宗南禅寺派。
山号は仏日山(ぶつにちさん)。
本尊は聖観世音菩薩。
平安初期の貞観六年(864年)、安恵僧都(あんねそうず)が慈覚・大師円仁(えんにん)の遺志によって創建。
大師自作の観音像を本尊として安置。
もとは天台宗の寺であったが、後一時荒廃し、
江戸時代中期に圓光寺の沢雲長老の法嗣(ほうし)鉄舟和尚が再興し、臨済宗南禅寺派となり今日に至る。
当寺は松尾芭蕉と与謝蕪村にゆかりのある俳句の聖地として知られる。
芭蕉庵(ばしょうあん)は、当寺を訪れた松尾芭蕉を偲んで与謝蕪村が再興した茶室である。
後丘には茶室芭蕉庵の傍らに与謝蕪村の墓がある。
また、当寺は舟橋聖一の歴史小説『花の生涯』のヒロイン村山たか女ゆかりの寺として知られ、
たか女が創建した弁天堂などが残る。
与謝蕪村(享保元年(1716年) ― 天明三年(1783年))は、
江戸時代中期の画家であると共に俳人でもある。
摂津国東成郡毛馬村(大阪市豊島区毛馬町)に生まれ、
二十歳の頃に江戸に出て夜半亭宋阿(早野巴人)に入門し俳諧を学んだ。
師の没後、茨城下館、結城、奥羽一円を絵画、俳諧の修行遍歴をした。
三十六歳で上京し、三十九歳から三年間を丹後で過ごし、絵画の修練に励み、得るところ多く、
帰京後、その地に因んで姓を「与謝」と改めた。
五十一歳の時、讃岐に渡り、琴平、丸亀に滞在し一層画技を磨き、
その後は大作を盛んに画き、京都画壇にその地位を得た。
また蕪村は芭蕉没後の平俗化した俳壇に新風を吹き込み、一般に「俳諧の中興者」といわれている。
六十八歳、京都で没した。
絵画の代表作には、「十宜之図(じゅうぎのず)」(国宝)、「奥の細道図巻」(重文)、
「夜色楼台図(やしょくろうだいず)」(重文)、その他多くある。
(「佛日山 金福寺 開基:慈覚大師 芭蕉・蕪村・村山たか女 ゆかりの寺 しおり」および
「増補版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック」より参照)
金福寺は与謝蕪村、松尾芭蕉ゆかりのお寺であり、お墓もあります。
与謝蕪村や松尾芭蕉のみならず、俳句が好きな方にはお勧めのお寺です。
また、方丈前には緑と白砂の綺麗な枯山水庭園があります。
季節に応じてサツキや桔梗などの花々も楽しめます。
境内全体に自然や緑が豊かであり、春から夏にかけては新緑や青もみじが、秋には紅葉が見られます。
苔やつくばいなどもあり、風情ある境内を楽しめます。
金福寺はさつきの名所です。
方丈前の枯山水庭園では、春にはピンクのさつきが楽しめます。
白砂とのコントラストも美しいです。
また、この時期は新緑や青もみじ、苔などの緑を合わせて楽しめます。
金福寺は秋は紅葉の名所です。
詩仙堂や圓光寺の近くにありますが、そこまで有名ではなく、隠れた名所です。
庭園入口付近や方丈横、芭蕉庵などで見事な紅葉、風情ある紅葉が楽しめます。
また、散り紅葉も圧巻であり、晩秋には赤い紅葉の絨毯ができます。
住所:〒606-8157 京都府京都市左京区一乗寺才形町20
※その他のアクセス方法もあります。上記は一般的なアクセス方法です。
時間はおおよその目安です。
拝観時間 ⇒ 9:00~17:00
拝観料 ⇒ 400円(大人一般)
※距離、時間はおおよその目安です。「約~」などは見にくくなる為省いています。
(※まだまだ作成、編集中です。)