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真言宗大覚寺派。
山号は槇尾山。
院号は平等心王院。
本尊は釈迦如来。
天長年間(824~834年)に智泉(ちせん)大徳(空海の俗甥)が神護寺の別院として開創。
その後の戦火で焼失して神護寺と合併したが、慶長七年(1602年)に再興。
堂舎は桂昌院(徳川綱吉の生母)が元禄年間(1688~1704年)に寄進したとされる。
槇尾
「槇尾山 西明寺」は、「高雄(尾)山 神護寺」「栂尾山 高山寺」とともに
三尾(さんぴ)の名刹の一つとして知られる。
古来より清滝川のせせらぎと共に、春の桜、つつじ、初夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と
四季を通じて豊かな自然を表している。
釈迦如来像は、本堂正面の須弥壇上の厨子内に安置されている本尊であり、
鎌倉時代に仏師運慶によって彫られた立像である。
清涼寺式釈迦如来立像で生前の釈迦如来の面影を伝えていると云われており、重要文化財に指定されている。
釈迦如来は二千五百年前に印度国に生まれ、仏教を総説された。
その教えは「万物は因、縁、果の法に従う。因、縁、果の法を見る時、正しい生活が行われる。
正しい生活が行われる時、苦しみ、悩みから救われ、ここに平安の光明が実現する。」と説かれている。
千手観世音菩薩像は、本堂の脇陣に安置されており、平安時代に彫られ、重要文化財に指定されている。
頭上に十面を戴き、宝冠をかぶり、合掌する真手を含め、四十二手の千住観世音菩薩像である。
細面で鼻筋が通った繊細な顔立ちをした立像であり、慈悲の力を持って衆生の苦しみを救うと信仰されている。
愛染明王像は、本堂の脇陣に安置されており、鎌倉時代後期に慶派に連なる仏師によって彫られた坐像である。
五鈷を戴く獅子冠を頭上に乗せ、三目を瞋らせ、開口して牙歯と舌先を現し、
五臓六臀の各手に法具や弓箭などを執って座っている。
我宝自性上人の念持本尊で、愛の力を授かるとして古来から多くの人々に拝まれてきた。
本堂は、元禄十三年(1700年)に五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の寄進により再建された。
桁行七間、梁行四間で、内部は梁行に三分されている。
中央が内陣で、後方に四天柱を建てて逆蓮擬宝珠付きの唐様須弥壇に厨子が泰安されている。
両横の脇陣が外陣の役割を果たしており、真言宗寺院の本堂としては特異な平面である点に特色がみられる。
正面入口の梁上に「霊山鷲心」の額が掲げられている。
客殿は、本堂の左方に接近して建ち、本堂左後方と短い渡廊下で結ばれている。
造営は本堂より古く、江戸時代前期には移築された。
当時は食堂と称し、僧侶の生活や戒律の道場として使用されていた。
前列二室、後列三室からなり、前列南室には、慶長および元和年間に三度にわたって制定された
九ヶ条からなる「平等心王院僧制」木札が掲げられている。
表門は、一間薬医門であり、本堂と同じ元禄十三年(1700年)の造営である。
西明寺の元禄造営の一連の建造物として貴重である。
(「槇尾山 西明寺 しおり」および「増補版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック」より参照)
西明寺は清滝川のほとりの小高い丘の上にある自然溢れるお寺です。
もみじも多く、春から夏にかけては鮮やかな新緑や深い青もみじを、秋には風情ある紅葉を楽しめます。
また、地面を覆う緑の苔も非常に美しいです。
さらに燈籠がたくさん建っており、独特の雰囲気を放っています。
都会の喧騒から離れた落ち着く静かなお寺です。
自然の中でゆっくりのんびりと散策できます。
西明寺には自然やもみじが溢れており、春から夏にかけては新緑や青もみじを楽しめます。
苔も綺麗であり、緑の空間でゆっくり落ち着くことができます。
西明寺は秋は紅葉の名所です。
紅葉だけではなく、緑の苔も非常に綺麗であり、風情ある紅葉、落ち着く紅葉、癒しの紅葉を楽しめます。
清滝川から続く参道や表門、本堂前、更には本堂庭園などで色とりどりの紅葉や散りもみじが見られます。
住所:〒616-8291 京都府京都市右京区梅ケ畑槇尾町1
※神護寺、高山寺の方から歩いても行けます。
少し距離はありますが、清滝川の眺めなどを楽しみながら歩くのも良いと思います。
※その他のアクセス方法もあります。上記は一般的なアクセス方法です。
時間はおおよその目安です。
拝観時間 ⇒ 9:00~17:00
拝観料 ⇒ 500円(大人一般)
※距離、時間はおおよその目安です。「約~」などは見にくくなる為省いています。
(※まだまだ作成、編集中です。)