京都市下京区西新屋敷揚屋町にある角屋(すみや)の庭園などです。
角屋は京都の「島原」にあり、「角屋もてなしの文化美術館」として庭園や建物を公開しています。
島原は江戸時代に公許の花街として発展してきた街です。
和歌俳諧などの文芸活動が盛んであり、江戸時代中期に最も繁栄しました。
しかし立地の悪さなどもあり、明治以降は衰退しました。
角屋は島原開設当初から遊宴の場である「揚屋」として存在し、
揚屋に太夫や芸妓を派遣する「置屋」とともに江戸時代に栄えました。
明治以降、揚屋は消滅していきましたが、角屋は島原に現存する唯一の揚屋建築の遺構です。
なお、角屋(角屋もてなしの文化美術館)は公開されている時期が限定されています。
また非公開期間であっても特別公開されたことなどもあります。
行かれる際は、必ず前もって公開されているか確認しましょう。
2017年10月28日訪問、撮影です。
広告
「網代の間(あじろのま)」です。
広さは二十八畳あります。
天井に特徴があり、天井版が網代組にされています。長い北山杉なども用いられています。
風情たっぷりの中庭です。
いつも言いますが、このタイプの中庭は雨や曇りの日こそ美しさが際立ちます。
網代の間から眺めた中庭です。障子、雪洞(ぼんぼり)とのコラボです。
飛び石や岩も美しいです。
燈籠も配されています。今日も燈籠が大活躍です。
「臥龍松の庭」や「松の間」の西側の枯山水です。「臥龍松の庭」に向かって右手の方にあります。
大きな岩がたくさん配され、下には丸い石が敷かれています。変わった形の燈籠もあります。
大座敷「松の間」から眺めた「臥龍松の庭」です。南の方に庭園が開けています。
「臥龍松の庭(がりょうしょうのにわ)」です。
白砂と松の枯山水庭園です。周囲は龍のひげや苔などの緑で囲まれています。
松はその形から「臥龍松(がりょうしょう)」と呼ばれています。そのため庭園は「臥龍松の庭」と呼ばれます。
ちなみに臥龍松は二代目です。一代目は枯れてしまいましたが、庭園の左奥の方で保存されています。
白と緑のコントラストも綺麗です。
庭園の左の方には苔や岩のゾーンがあります。
奥に大きな岩があります。その奥に一代目の臥龍松(臥龍松の保存された幹)があります。
苔の上に飛び石が配され、奥まで行けるようになっています。
ただ、庭園に下りてはいけませんので眺めるだけです。
多種多様な植物が植えられています。良く手入れもされています。
雨で輝くシダや岩などです。
でも、ちょっと反射しすぎて撮るの失敗したかも・・・。
見事な飛び石です。いろんな形や大きさ、色の岩が配されています。
同じ庭園「臥龍松の庭」の中でも、この付近は風情ある空間、雰囲気の少し異なった空間が造りだされています。
再び正面からの眺めです。
右奥には茶室があります。見えにくいですが、さらに奥に萱葺屋根の茶室がもう一つあります。
この庭園の知名度はどれくらいなのでしょうか。今日は貸切状態で楽しめました。
ただ、数年前に来た時は結構人がいました。おそらく特別公開をしていた時なので人が多かったのでしょう。
たまに団体さんも来るようです。新撰組ゆかりの場所でもあるので、ツアーなどに組み込まれることもあるようです。
何であれ、京都の有名な観光地や観光寺院に比べればはるかに知名度は低く、穴場の庭園と言えるでしょう。
大座敷の「松の間」は庭園側に柱のない造りになっています。
詳しいことは分りませんが、屋根の上の方で庇を釣って支えているそうです。
松の間のどこから見ても綺麗に見えるように、あるいは正面に見えるように造られているのでしょう。
独創的な造り、独特の発想の見事な枯山水庭園です。
見えにくい場所にありますが、向かって右の方にもお茶室へ続く飛び石が配されています。
両脇を飛び石、参道で囲まれた庭園でもあります。